(写真09-3ab) 1953 Connaught L3/SR (2004-06 フェスティバル・オブ・スピード/イギリス)


翌日、その彼から「もう東京に帰っているから、会いませんか」
「見せたい車があるから、横浜まで行きましょう」って!


(写真09-4ab) 1954 Connaught ALSR (2004-06 フェスティバル・オブ・スピード/イギリス)

いままでAT仕様の「コブラ・レプリカ」は何台も見たけど、
どれもこれも雰囲気が全く違うシフトレバーや、内装に
ゲンナリしていたから、これは嬉しい驚き!

その可愛さは、多分にハードトップの形状から受ける印象
だろうが、実はこの車についているのは「ハードトップ」
ではなく、固定された屋根なのだ!

(写真12-1ab)1958 Lincoln Continental MkⅢSedan(1960年虎ノ門ニューエンパイア・モータース)

世界一オリジナル性の高い「シェルビー・コブラ427S/C」が、アリゾナ・オークションに登場。3億超えという過去最高の落札額を記録しました。

勿論この車、1966年第3回日本グランプリで酒井正さんが、
ゼッケン21番をつけて出場した、本物の「デイトナ・コブラ」だ!

(写真21-1a-c)1955 Cunninghan C6R (2004-06 フェスティバル・オブ・スピード/イギリス)

当時は「コブラ使い」といった言葉があったぐらい、腕っぷしの
強いドライバーが、本国アメリカには居たという・・・

古今東西の130台ものコレクターズ・カーを用意し2日間にわたって行われたのがRMサザビーズ・アリゾナ・だ。同社のオークションは極めつけの億超えのアイテムがズラリと並ぶイメージが強い。しかし、ここではアメリカを代表するカーショーにリンクして行われるため、戦前車を中心としたアメリカ車が3割強を占め、などの高額車もあるがいつもと違った雰囲気の中で始まった。

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それくらい、腕力と脚力がなければ乗れない代物が正統派「コブラ」。
だから30年の時を経て「夢を叶えては!」という心使いなのだ!

ここの看板車は1954年D-タイプだったが最低落札額に届かず流札。代わって最高落札額を記録したのはシェルビー・コブラ427S/Cで、その額は「3億3012万円」と427S/Cとして新記録を樹立。その理由は議論の余地がないオリジナル度の高さとコンディションが評価されたもの。


本物でした。 #シェルビーコブラ ACコブラ #スーパフォーマンスコブラ ..

デイトナコブラ懐かしいです。
本社ショールームに飾ってあったのを思い出します。
今なら10億も納得出来る車でしたね、

本物のミニチュア 1/12 – ポルシェ 959 スポーツ – 1983

結果を見るとアメリカのオークションらしくコブラとタッカーが1位、2位を占めたが、そのあとはフェラーリを主体としたいつもの顔ぶれで終わっている。全体の流れを見ると特別な理由が無いクルマは全般的に値を下げて、あるいは流札していることが分かる。今後の動きは、もうしばらく様子を見る必要がありそうだ。

7000cc、550馬力、新車!?日本で初めてコブラ427の ..

コブラで走ったのは、60年頃だったろうか。大学後輩の三保敬太郎が日本GP用に買い込んだものだった。ジャズピアニスト、作曲&編曲家、俳優、レーサーの通称”ミホケイ”は、銀座や赤坂で出会うと気軽にピアノでジャズを聴かせてくれた。

7000cc、550馬力、新車!?日本で初めてコブラ427のオーナーになった彼氏募集中の美女。 · Comments276.

コブラ、正しくはACコブラだが、1904年ロンドン郊外に産声を上げた会社だから、イギリスでも老舗の一つだ。WWII以前は乗用車メーカーだが、戦後にスポーツカーを作り始め、その何作目かがコブラだった。

シェルビー・コブラ427|邪悪な走りと語り継がれるレースカーの意外な本性.

62年から65年までのコブラは289。289は気筒容積で立方吋だから、日本流なら4624㏄。ちなみにミホケイのは、コブラ427。

いわば 現在現実的に購入可能な本物のコブラ言えるでしょう。 4

今年7月、パリから西へクルマで2時間走った街ル・マン市で、2年に一度開催されるル・マン クラシックが行われた。これは、1923年から1979年にかけてル・マン24時間耐久レースに出場したマシンを対象にしたクラシックカーイベントであり、24時間レースと同じ公道を含むブガッティサーキットをメインとしたサルテサーキットを会場として行われる。

出場車は当然年式ごとに分けられ、同年代のもの同士で競われる。戦前となる1923年〜1939年はひとくくり、というようにだ。
そのカテゴリーの中でひと際目を惹くカテゴリーがあった。1962年〜1965年にくくられたグリッド4である。この頃、もっとも活躍したのはフェラーリ。62年はフェラーリ330LMが、63年は250Pが、64年は275Pが、そして65年は275LMがそれぞれ優勝した。

そんなフェラーリと渡り合ったのがACコブラである。なので、このレースでは当時を彷彿とさせるかのような両車の死闘が繰り広げ、その姿はまるで当時にタイムスリップでもしたかのようであった。

もちろん、英国のスポーツカーメーカーACカーズはそれ以前もル・マンに出場していた。当時のマシンはACエース。それにブリストル製エンジンを積んだモデルが、50年代後半に戦っていたのだ。ル・マン クラシックの会場でその姿を何台か見たが、ACカーズらしいかなりスポーティな仕上がりをしている。

だが、目を奪われるのはやはりコブラの方だ。よりグラマラスになったボディはまんまレーシングマシンのようで、かなり戦闘的なイメージ。このクルマとからんだら相当ヤバいんじゃないかと思うほどだ。排気量は289(4.7リッター)ではあったのだが……。

シェルビーコブラ 427S/C 50周年記念 限定50台中の3台 ..

この車を「C」項に登場させてもいいのかと一寸ためらう所だ。というのは、普通には「コブラ」と呼ばれているこの車は正式には「AC」あるいは「シェルビー・コブラ」だからだ。1923年テキサス生まれのアメリカ人キャロル・シェルビーは、1954年からアストンマーチンのワークスドライバーとして活躍し1959年には遂にルマンで優勝を果たすも、翌年健康上の理由で引退、以後車造りに専念する。アメリカではフォード・フェアレーンのV8エンジンと、グッドイヤー・タイヤ、そしてイギリスからはACエースのシャシーの提供を受けることに成功し、これを組み合わせた新しい車「ACコブラ260」が1962年誕生した。ヨーロッパのシャシーにアメリカの強力エンジンを積み込んだ車を「アングロ・アメリカン」と呼び、イギリスでは「アラード」「ジェンセン」「ブリストル」、フランスでは「ファセル・ヴェガ」、イタリアでは「イソ」などが有名だ。最初の「コブラ260」はフォード・フェアレーン用 V8エンジンが使用されたが、その排気量がアメリカ式の表示で「260キュービック・インチ」だったところから命名されたもので、換算すると4260ccとなる。この「AC 260コブラ」は75台造られ、1963年には排気量がアップして 「AC289コブラ」となった。「289キュービック・インチ」は4747㏄相当で、284hp、555台が造られた。これら「アングロ・アメリカン」たちは性能的には優れたパフォーマンスを持っているが、純粋なスポーツカーにこだわる一部ファンからは「邪道視」される異端児だった。しかし「ACコブラ」によって、これらを受け入れる市場がアメリカに存在することを知ったシェルビーは、パワーとワイルドさをより強調した究極の7リッター「シェルビー・コブラ427」の発売に踏み切る。

シェルビーコブラ購入の基礎知識|本物と呼ばれるCSXシリーズとリプロダクションカーの違いは? ..


最初の「ACコブラ260」は75台しか造られておらず、残念ながら僕は写真にとっていないとおもう。「427」の場合はサイドフェンダーにはっきりとプレートで表示されているので間違えないが、「289」の場合は、このプレートが「Powerd by Ford」とあり「260」なのか「289」なのかは判別できない。だから、殆どオリジナルの「AC」に近い写真の車が「260」である可能性も有るかもしれない。コブラと名がつくとみんなフェンダーが張り出しているので、むしろ張り出しのない方が珍しい。

シェルビーコブラ レプリカ SUPERFORMANCE MKIII ..

コブラは、1962年英国AC社のボディにフォード製V8エンジンを搭載した軽量FRスポーツカーとして誕生した。製作したのはロサンゼルスにあるシェルビーアメリカン社。その代表は故キャロルシェルビー氏だ。

1950年代、彼はアメリカ国内レースで活躍するとその実力がアストンマーチン社に見初められ、1959年ル・マンにドライバーとして参戦し優勝に導いた。翌年、持病の心臓病を理由に引退。一転して今度はレース経験を生かしたクルマ造りに人生を費やすのである。それがシェルビーアメリカン社の誕生になる。

シェルビーアメリカン社が製作を始めた1960年代当初、コブラはライトウエイトスポーツともいえるナローボディをまとっていたが(260、289エンジン搭載)、427エンジンを搭載するにあたり、ここで紹介しているようなフェンダーの張り出したグラマラスなスタイルに進化を遂げる。いわゆるマッスルカー的な演出である。

こうした時代背景を歩んできたコブラは、当然ながら世界中にファンがいる。だからこそレプリカをも世界中に存在するのである(名車だからこその必然)。

ソリド 1/18 AC 本物 コブラ 427 Mk.2 メタリックブルー 再入荷


「コブラ」はかなり古くから日本に住みついていた。写真の場所は神戸ポートアイランドにあるイタリア風の雰囲気を持った市民広場で、イベントは「モンテ・ミリア」と名付けられた「ミッレ・ミリア」をイメージしたもので、ミーティングの後、六甲の山道を一巡りするところから「モンテ」(山)となったのだろう。会場は9割までがイタリア車で、遠くから見ると広場全体が真っ赤に見えるほどだった。

ソリド 1/18 AC 本物 コブラ 427 Mk.2 メタリックブルー 再入荷,ミニカー.


「コブラ」は「ACエース」から進化したものだが、その証としてフェンダーの張出が状況に応じて何段階かに分かれて確認できる。最初の車に比べれば2番目とこの車(3番目)」は中程度といえる。フォード・フェアレーンから転用されたV8エンジンは「Cobra Powerd by Ford」のヘッドに変わっているが、大型のエアクリーナーは特にレース仕様とは思えない。

ACコブラとシェルビーコブラの違いとは? 伝説のスポーツカーの歴史

手頃と云っても600万円程だったが、製造元は米国ノースダコタの本格的レプリカメーカーのクラシックロードスター社。ボディーはアルミでなく、仕上げが美しいFRP製。が、全長4191㎜、全幅1828㎜はオリジナルより少し大柄だから、乗降と居住性は快適楽チンだった。