ジャンボ鶴田のコブラツイスト (Abdominal Stretch by ..
1992年夏、ジャンボ鶴田の体調の異変に気付いた秋山準は専修大学レスリング部主将から大学4年生だった91年7月にジャイアント馬場にスカウトされ、この92年2月3日に全日本に入団。同月21日に合宿所に入ると、同じレスリング出身ということもあってか、デビュー前から鶴田の付け人になった。
馬場と猪木 馬場が愛弟子・鶴田に語った「猪木のような悲愴感出せ」
今回はジャンボ鶴田から奥義を伝授された付け人・秋山準が語る「たった3回」の鶴田との対戦について。そして病気によって戦線離脱を余儀なくされた鶴田を同世代を歩んだ名手たちはどう見ていたのか?川田利明、渕正信らが振り返る。
「付け人になったのは渕さんに言われたんだと思います。馬場さんの意向ということで。鶴田さんはそんなに難しい人ではないので、洗濯して、言われた場所に鞄とコスチュームを並べるぐらいでしたよ。ただ、当時はあんまりコインランドリーがなかったんで、時間が遅くなると手洗いしてドライヤーで乾かしたり、ホテルのフロントでタオルをいっぱい借りてきて、まずタオルで衣類を挟んで足で踏んでバーッと水分を飛ばして、暖房をガンガンかけるとかって感じでしたね」と、秋山は付け人生活を振り返る。
ジャンボ鶴田トリビュート・ページ / Jumbo Tsuruta Tribute Page
天龍源一郎離脱後の初シリーズとなった『スーパーパワー・シリーズ』終了後にはサムソン冬木、仲野信市、北原辰巳(現・光騎)、折原昌夫、練習生の山中鉄也、フリーとしてレギュラー参戦していた鶴見五郎が離脱し、またまた暗雲が立ち込めた全日本プロレスだったが、超満員札止めの2150人(主催者発表)が詰めかけて熱気ムンムン。
本連載では、刊行以来大反響を呼んだこの1冊に、新たな取材、証言を盛り込み改めてジャンボ鶴田の人物像に迫る。
1、15分1本勝負○田中稔(6分38秒、拷問コブラツイスト)井上凌○|週プロ.
「あの後楽園のワンナイト・スペシャルは5試合しか組めなかったけど、お客さんは温かかったな。それから有り得ない大爆発が起こったもんね」と語っていたのは14年2月15日に心筋梗塞によって51歳の若さで急逝した仲田龍リングアナウンサーである。
この日のメインは鶴田&ザ・グレート・カブキ&渕正信vs三沢&田上明&菊地毅。この試合で事実上の主役になったのは鶴田でも三沢でもなく、メイン初登場の菊地だった。...
ジャンボ鶴田さんは「拷問コブラ」という派生技を開発しています。腰を押し込んだり、頭を押し込んだりしてコブラツイストを決めていました。
1990年6月8日、かつての付け人・三沢光晴に敗れたジャンボ鶴田は「まだ胸を貸しただけです。負けた気がしない。これで俺を制覇したと思ったら、まだまだ甘いよ。もっと三沢には大きくなってほしい。今後、三沢がスタン・ハンセンやテリー・ゴディとどれくらいできるかが問題だと思う」と、あくまでも余裕のコメントを出した。
もし戦ったらどちらが勝つのか……昭和のプロレスファンを熱くさせたのが、“世界の巨人”ジャイアント馬場と“燃える闘魂”アントニオ猪木だ。
ジャンボ鶴田追善セレモニー時の皆さまの心の中での「鶴田!おー!」は鶴田 ..
元『週刊ゴング編集長』小佐野景浩氏が、かつての取材資料や関係者へのインタビューをもとに、伝説のプロレスラー・ジャンボ鶴田の強さと権力に背を向けた人間像に踏み込んだ588頁にもおよぶ大作『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』。
ジャンボ鶴田さん没後21年、メモリアルTシャツが叫ぶ名フレーズ… ..
BI砲全盛期の日本プロレスに入門し、今年デビュー50周年を迎える藤波辰爾が当時の2人の関係を語る。
海野翔太(右)をコブラツイストで攻めるザック・セイバーJr.(
元『週刊ゴング編集長』小佐野景浩氏が、かつての取材資料や関係者へのインタビューをもとに、伝説のプロレスラー・ジャンボ鶴田の強さと権力に背を向けた人間像に踏み込んだ588頁にもおよぶ大作『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』。
鶴田とはぎこちなかったボスマンも小橋建太とは噛み合ってた様子.
だが、1972年に猪木は日本プロレスから離脱して新日本プロレスを旗揚げ。同年、馬場も全日本プロレスを旗揚げすると、両団体は興行戦争を繰り広げ、猪木は執拗に馬場を挑発し直接対決を迫った。猪木に従い新日本に移った藤波は、こう見ていた。
1983年、テリー・ファンクにコブラツイストを仕掛ける鶴田 ..
「ふだんは猪木さんが馬場さん個人のことを口にすることはなく、ただ『全日本に負けるな』が口癖でした。馬場さんには力道山先生から引き継いだ王道のプロレスの型があり、それへの対抗心から猪木さんは異種格闘技戦などのストロングスタイルに進んでいきました」(同前)
コブラツイストを切り返して逆転にコブラツイストを決めた! そしてジャンボ鶴田の得意技だった拷問コブラツイスト(写真)も鶴っ田は披露した!
本連載では、刊行以来大反響を呼んだこの1冊に、新たな取材、証言を盛り込み改めてジャンボ鶴田の人物像に迫る。
今回はかつての付け人・三沢光晴に敗れたあとのジャンボ鶴田の活躍、そして2人のレスラーの活躍が生んだ鶴田軍vs超世代軍という全日本プロレスの新たな戦いの図式について、当事者たちの言葉から紐解いていく。
最後までプロレスは“辛口”で――。 天龍源一郎、堂々たる革命の終焉。
「あるとき馬場さんに『タッグパートナーで組みやすかったのは誰ですか』と聞いたら、まず先輩の吉村道明さんの名前を挙げて、次はてっきり当時タッグを組んでいたジャンボ鶴田かなと思っていたら、『猪木だな』って言うんですよ。
ちなみに僕はコブラツイストといえばジャンボ鶴田で鮨。 by sushi-masa
『組むと呼吸が合うんだな。その点、鶴田はまだまだだな』って。馬場さんが鶴田に試合後の控え室で、コブラツイストを掛けているときの表情がなさ過ぎるということで、『猪木のガーって顔あるだろ、あんな感じの悲愴感を出せよ』と言っているのも聞きました。